~お家と占い行ったり来たり~ あんこの占い*虹架けるLOG

     東京&湘南で活動中の占い師夏瀬杏子のブログ  算命学・易・タロット     

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カテゴリ: 子育て談義

うちの小夏さん、天南星×2の女王様なのですが、実はとてもシャイでおとなしい所もある女の子です。
いわゆる「内弁慶」な子供です。
学校ではわりと物静かで休み時間は本を読んでいたり、もちろんお友達と遊んだりもするのですがちょっとお姉さんぽいポジションみたいです。年の離れた兄弟がいるせいか大人びていると思う。

でも家に帰ると全然違う!!
私に結構べったりだし、女王だから夫をこき使うし(笑)。末っ子モード全開です。
「ママが好きなのねえ。どこが好きなの?」と聞くと「おっぱい!」と即答する。この年にしておっぱい星人(こんなこと書いているのがばれたら怒られる・・・)。
小夏は終わりギリギリの蟹座生まれ。獅子座の影響が強いのですがなんだかやっぱりカニ子なのねえと実感します。
「カニ子~~!!お前はカニ子だなっ!!カニみそ吸ってやる~~」と言ってお腹をチューチュー吸う真似をするとゲハゲハ笑って喜びます←バカ親子


カニ子さん、今は学童に行ってないので学校から帰ると一人で夜まで私の帰りを待っているんですよね(次男も帰ってきますがまたすぐ塾へ行ってしまうことも多く…)
誰か友達とでも遊んでいればいいのに、それはどうも気が進まないみたいで一人で宿題やって明日の支度して本読んだりDVDを見たりしている様子。

丁火の生まれだし一人が好きなのかね、と思ってましたがあまりにも家に帰ってから友達と遊ばないのでふと「何かあるのかしら」とも思い、さりげなく聞いてみたりしましたがやはり友達づきあいに困っている様子はなし。
でももう少し突っ込んだ友達がいてもいいのでは??
担任の先生に会ったときに尋ねてみると先生も同じことを思っていたらしいです。まあでも高学年になったら違うと思うからそのままにしておきましょうかという話になりました。

3人目くらいでようやく長めのスパンで成長を考えられるようになったかもしれません。というかやっと私に人並みの忍耐力が付いたともいえる。
長男のときなどは見守っておけばいいだけの所でバタバタと意味のないあがきをやっていたかも…


ところが2~3日前にカニ子と話していて、どんな経緯でそうなったのかは忘れてしまったのですが
「困ったことがあってもママには言わないよ」という話になりました。
「えっ!そうなの?」(ちょっとショック・・・でも私も親に言わなかったな)
「じゃあママは何をすればいいと思う?」と聞いたら
「ええとね、「よしよしして」って小夏が言ったらよしよしして欲しい。あとはご飯作って」
「それだけ?あとは?」
「一緒に楽しくおしゃべりして欲しい」と言われました。

あ~~~なんかショック受けました。
育児書に書いてあるような内容を9歳の子に直接言われたよ。
もうすでに親のやることなんてこれだけなのですね。自分でなんとかするらしい。
大きくなるってつまらない時がある。

先日、関西にいたころの長男の仲良しのお家からハガキがきました。
チラッと見たら喪中ハガキだったので「どなたか亡くなったのかしら?」と見ると、長男の友達のお母さん、つまりママ友が亡くなったと言う知らせでした。年賀状のやり取りをしていたので御主人が送ってくれたのでした。
51才でした。お子さんは20才と18才で大きくなったとはいえまだ相当心残りだったと思います。

隣のマンションの方でよく兄弟揃って遊びに行ってました。たまに私もお邪魔しておしゃべりしたりもしてました。小学校の創立記念日に当時出来て間もないUSJにも子供をつれて一緒に行きました。引っ越したあとも遊びに行った時は息子を泊めてくれてお祭りに連れていってくれました。
子供が大きくなり時間が取れずここ5~6年は行ってなかったけど今年も年賀状をくれて元気に過ごしているとばかり思ってました。

私は何度も引っ越したりしたし、もとから浮く人だし、3人目ともなるとスレてきて「ママ友なんてなくても平気」とも自信を持って言えますが、同じくらい「できたらそういう付き合いもあった方がいい」と言えます。
全く知り合いのいない関西で2人の小さい息子達と格闘していたとき、仲良くなった人がまだ赤ちゃんだった次男を抱っこして、「一時間くらい見ているから、夕飯の支度少ししてきてええよ」と言ってくれて、涙がちょちょぎれるほど嬉しかった。他にも本当に色々助けてもらいました。

色々な人がいるし、子供の友達のお母さんだからと無理に付き合う必要はこれっぽっちもないけど、食わず嫌いをしないで付き合ってみるといいと思う。
(今ママ友のこわい?情報ばかり知られてびくびくしている新米ママさんがいたりするので…)




もう一人親しかった友人Oさんに、何か詳しいことを知っているか久しぶりに連絡してみました。Oさんも最近は学校か違ったりして接点が無くなっていたので私の電話で知ってショックを受けていました。
Oさんは私と同じ年で東京出身、3人子供がいますがそのうちの2人がうちの息子達と同じ学年であったりして、本当によく世話になりました。当時専業主婦で幼稚園ママだった私や仲の良かった人達は、子供たちがお金がかかる盛りになりみんな必死に働いている。Oさんも介護の仕事で朝も晩も問わず働いているとのことでした。
なかなかみんな会えないけど、たまには会いに行きたい!!
あの世でも会えるのかもしれないけど、この世で話しておきたいこともやっぱりある。
ちょっとずつ積み立てて、来年受験が佳境に入る前に久しぶりに関西にいくぞと心に誓いました。
やるって言ったら私はいつもやるんです。
それならもう1年早く決心しておけばよかったとも思います。
亡き友にごめんね、本当にありがとうと心の中でメールを送信します。

今度は子の方に回っての話。

ラジオで女子高生からのメールが興味深かったのてすが、内容を箇条書きにすると
・その女子高生は英語が得意でその方面の大学に行って勉強したい
・2~3年前にお父さんが亡くなったが、お金をきちんと残してくれて困ってはいない お母さんは専業主婦
・お母さんは今の優雅な生活を維持したいので大学に行かないで就職してほしいと言う

DJやゲストの方達は「ちょっと信じられない…」「こんな親がいるとは…」と言ってましたが、私は「いる!いるよこういう人!」と車で叫んでました。
「子供の進路、とくに進学に関しては多少の無理は何とかしてやりたい」と考える親が多いとは思いますが、そうではない親も勿論いる。
私の父も進学こそ反対しませんでしたがそういうタイプでしたね(-_-;)


ラジオの女子高生も「お金が苦しいなら私も勿論働くけど、今の優雅な生活を保ちたいからって言うのは…」とメールで言っていました。
奨学金を借りたりバイトしたりしてもやはり親の援助なくしては大学は難しいと思うし…なんとか説得して最低限は出してもらえるといいな~と。そしてなるべく早く親から離れる!


生年中殺があると「親に縁がない?よかったね」「親がお金を出してくれない?よかったね」という世界ですが、そういう匂いがしますね。
世間には、子供の毒になる親も沢山いることを思うと、かえって縁がないくらいで良かったとも思ったりします。
うちの父も昔はとんでもないことを言ったりやったりでそれこそ何度も腹が立ったり情けない思いをしましたが、今は数年に一度親戚で誰か死んだら葬式で会う程度なので大変楽になりました。
親はなくとも子は育つ。子供に余計な手をかけるなっていうのは中殺なくてもきっと大事ではなかろうか。

*** *** *** *** *** ***

こんな文を頭でこねくりまわしていたらこんな風景に出会いました。

昨晩近所のショッピングモールのフードコートに夕御飯を夫と次男とで食べに行きました(小夏はまた伊豆にやってしまった)

私の目の前に家族連れがいて、3~4才くらいの男の子がお母さんに駆け寄ったところ足を踏んだのか??急に「痛い!!何すんの」と男の子をすごい勢いで突き飛ばしました
さらに両手で子供の髪の毛をわしづかみして「いい加減にしなさいと言ったでしょ!」と凄み、更に腕を叩いてもう一度突き飛ばしました。

目の前の光景にあぜんとしましたが、もっとビックリしたことは一緒にいたおばあちゃんらしき人も、そのお母さんの姉妹なのか、もう一人いた女性も平然としていること、そして男の子も泣いたかと思ったらすぐ平気になっていることでした。
多分よくあることなのでしょう。

そのあと私達の後ろの席で子供を席に座らせご飯を食べさせながら、さっきのお母さんがもう一度、今度は優しく諭していました。


いや~~もうめちゃくちゃ衝撃的で頭から絵が離れない~~(ToT)
あのお母さんは感情のアップダウンが激しいだけなのかもしれない。
でもなんかDVする男の人みたい、とも思った。殴ったあとに優しくする。
ただ子供が怒ったときの感情の表し方をそのままお母さんから習うのでは、というのがちょっとどうなのかと思ってます……

先日車でラジオを聞いていたら夏休みなので子供や学生からのメッセージで番組をやっていて、親子関係や虐待についての話をしてました。
その時思ったことについて少し。


うちは3人子供がいますが、3人共よく泣いてかまってかまってと主張する赤ちゃんでした。その中でもやっぱり赤ちゃんの扱いに慣れていない一人目の時は大変でした。
4カ月くらいのころ何時間も泣き止まず、実家は遠いし夫も帰りが遅く、最後は私も子供とワンワン泣いた記憶があります。

やっぱりねえ、大きな声では言えないけど余りにも泣き止まない子をえいと投げつけたことはありましたね。理性は残っててクッションのきいたところでやったんてすけど。延々と言うことを聞かずパチンと叩いてしまったりとかも。
ヒステリーを起こしたような自分に気付き大後悔の嵐……でもこれは似たような経験をした人が多いんじゃないのでしょうか。

長男が2才になってすぐ次男が生まれて、日々の生活はますます慌ただしくなりましたが、ヒステリーのように怒ることは激減しました。
次男にすごく腹が立つことがあっても、長男がそばにいると「見られている」と思えて冷静になれたのが理由だと思います。

個人的感想なのでアレですが、やはり第三者の眼は効果絶大だと思います。変な例えですが駅のホームに大きな鏡があるのは自殺防止のためと聞いたことがあります。自分の姿を見て客観的になるんですね。それと同じ効果であると推測。子育て中で無駄にイライラするときは家にこもらないで誰か第三の眼があるところへ。助けが得られるところへ。私的にこれ大事。

あと相反するようですが、母からよく言われたのは「怒りたい時は怒る!」でした。月が牡羊座の母らしいアドバイスであります(笑)でも気持ちは楽になりましたね。よい母ばかりやってはいられない。
本当は必要なことをビシッと叱って、あとはすっと流せるお母さんでありたいとおもうけど、なかなかねえ、難しい。
怒るのは本当に疲れる。それなのに怒りが止まないときがある。

息子達はおとなしいタイプだったけどそれでも男の子二人で色々やってさんざん怒りました。マンションのドアを締め切って追い出したこともあります(どこか行ったら困るのでこっそり見てました)が、今となっては何で怒ったのか全く思い出せない。
思い出せるのは私の頭の上でベイブレード(現代版ベーゴマですね)をいきなり回されて激怒したことくらいですね。


息子達は大きくなって怒ることは減ってきた。もう親が言ってもしょうがないな、自分で失敗しないとわからないだろうな、って感じです。

むかし、むかしのお話です・・・

サタリタのころ生まれた次男は、口がとても遅かったんです。
体の発達は早めで9ヶ月の終わりには歩き始めていましたが、中身の方は遅く1才児検診の時にはもうひっかかっていました。
それでもニコニコ元気で、次男坊らしくお兄ちゃんのあとをくっついて回り他の子供たちと遊び回っていたので、言葉のことは色々気にはかけてはいましたがそのうち話し始めるだろうと思っていました。

が・・・2才過ぎても一言も出ない(-""-;)2人目なんだから勝手に覚えるものかと思っていたのに・・・
そして検診などではやはり知能の発達が遅め。住んでいた市には「ことばの教室」というのがあって、年少の前の1年間に言葉の遅い子が集まって遊んだり専門の方にみてもらったりできるのでそちらに通うことになりました。

1クラス10人くらいで毎週いろいろなおもちゃで遊んだり、手遊びしたり、体を使う遊びもします。割合は8:2で男の子が多かったです。そしてその曜日は第2子が多かったです。上にしっかりもののお姉ちゃんがいたりすると言わなくても用が済んでしまったりで言葉が遅いことも多いとか。

春からクラスが始まり、半年を過ぎると一緒に通っていた子たちは最初に比べると格段にお話しできるようになっていました。
しかし、うちの子は言葉は一つも出ていませんでした。私の話す内容はほぼわかっているし、ボディランゲージの天才でコミュニケーションは困らない。色々やれることはやっているのにどうして言葉がでない??このままずっと話せない??
クラスが終わった後、裏に公園があって2人で遊びに行きました、落ち葉がたくさん落ちている公園でどんぐりを必死に拾っている次男を見ながらぼーっと考えていたのを覚えています。
待つしかないんだ。待つってこんなに難しいことだったのか。
だから勉強みたいな感じでこの子は生まれてきたのかしら・・・

それでも春になって幼稚園の年少さんにあがるころにはほんの少し言葉がでました。
「〇〇(自分の名前)」「ママ」「あかん」の3語で入園。上の子と一緒に幼稚園に通ったのでそれほど心配はしていませんでしたが最初はたいへんだったみたいです(先生が)。そして通ううち、少しずつ、少しずつ言葉が増えていきました。

そして年中で転勤。次の市でも言葉の教室を紹介してもらい通いだしました。
ここの市では言語療法士の先生がついてくれることになりました。
年中のころにはだいぶ話せるようになっていましたが、発音がおかしいところが結構ありました。
一番大きかったのが「たちつてと」が「かきくけこ」になってしまうこと。
「ピカチュウのどきどきかくれんぼ」という映画を「ピカチュウのごきごきかくれんぼ」って言ったときは悪いけど爆笑してしまいました。

言語療法士の先生は「お母さんは絶対言葉を直さないでください」とおっしゃいました。
これがいけないことはとても理解できました。つい間違えた発音をすると「こうだよ、もう一回いってごらん」とお母さんってやりたくなっちゃうんです。私も何度もやってしまいました。次男はあまり気にするタイプではありませんでしたが気にする子はたとえば「さ行」を全部抜いて話すようになってしまうそうです。そんなことができてしまうんですね。


「どうやって発音なんて直すの?」と思いましたがさすがプロ、少しずつ発音は治っていきました。
小学校1年の時に言葉の教室は卒業できました。


子供の成長において、親が邪魔になってしまうことがあるのですね。
植物のように種をまいたら、必要な水、必要な日光、そしてあとは待つだけ。
芽が出ないからってあせって掘り返したら元も子もなくなってしまいます。
甘いトマトを作るには最小限の水でひからびさせるように育てるというのを見たことがあります。そうすると茎やトマトからうぶ毛のようなのが生えて空気中の水分をとろうとするらしいです。こんな風に最低限で育てたほうがいい子もいるのでしょうね。
親の仕事は必要なことだけ与えて、あとは待つだけなんじゃないかな~~と思います。
本当に難しいです。

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