私が生まれたのはまあまあ田舎で、家の前は牛舎、回りは田んぼと畑でポツポツと家が建っていました。
辺りには年の近い女の子がいなくて、遊び相手は妹で、本ばっかり読んでいる、それでいて人懐っこい子供でした。

学生のころはよく学校で浮いていました。
浮いていると言っても仲間外れとかいじめとかでは全然ないのだけど、何となく同じところにいても一緒ではなかったです。ドの音が半音上がって♯になる、その位な(?)浮き方でした。
小学校の低学年のうちは記憶がないけど、それ以降、特に中学は今思うと結構…結構思い出したくないかも。でも当時は「何でだろう?」と考える程度で全く深刻に受け止めていなかったです。

そして学生時代は先生からの覚えは大変めでたくなかったです(-""-;)
問題を起こすようなこともないし、その頃はそこそこ勉強も頑張っていたし、理由はさっぱりわからない。でも小学生のころには「おかしいなあ…」とボンヤリ感じていました。
小学校の卒業文集に、担任の女の先生がクラスの一人ずつに「○○ちゃんはこういう所がステキだった」みたいなことを書いてくれました。ワクワクしながら読むと、出席番号順なのに私の分がなく、一番最後に書いてあったので「先生なんで私一番最後なの?」と聞くと「忘れちゃったから最後にした」とのこと。それも内容が私だけどうも表面的で当時はその事の方がショックでした。
この記事を書くのに考えていたらすっかり忘れていたこの出来事を思い出しましたよ…


高校になると先生達に何故か不安視されました。どうも私はめちゃくちゃ足元が揺れて危ない女の子に見えたらしい。当時私と付き合ってた人は先生に「アイツを何とかしろ」みたいに言われたらしい(失礼な!)
その頃も何でこんなに言われるのかさっぱり解らなかった。私はこんなに頑張っているのに何いってんの?って悔しく思ってました。

社会人になっても変わらず、というか顕在化。
出産や転勤もあったので色々な場所で色々な働き方をしたけれど、ひとところで働こうとすると劇的にダメ。浮くのは当たり前として酷い感じで辞めることになります。
今の土地に来て久しぶりに正社員になったら女性3人で朝から晩まで一緒の仕事できつかったです。息苦しい感じがしました。はみ出る自分を抑えていたのだと思います。
夜寝る前に「私のことを許してくれる所に行きたい」と思いながら眠りについていました。今思うと選んだ環境が完全に間違っていますがこういう時に限って車騎星がひょっこり出てきて下手に頑張ってしまいました。



長々書きましたが、こんなふうに他人と同じ場所にいるのに自分だけ別のカテゴリーにいるような感じとか、地に足がちゃんとついていないような感じが「生月中殺」なのかなと体感しています。

そういう傾向があるということに気づきつつもそのまま来ましたが、さすがに最後に正社員を辞めたときには「おかしい!」と思いました(笑)しばらくして算命学を知ったときはのどのつかえがとれた気がしましたね。

こういうカラクリがあったとは(°Д°)!って。
それを知っただけでもかなり楽になりました。それまで上手くやれない自分を責め続けた時もありましたので。

そしてどうせはみ出るなら最初からはみ出た形態で行こう、と考えてかなり生きやすくなった気がします。
大人になれば自分の環境はある程度は決められるし、自分の手で人生をコントロールすると思うと満足感が違うんです。


浮いたっていいんです!
生月中殺は蓮の花みたいなもので、池で浮いてナンボですよ~~(*^^*)